Dedicated to Vladimir Nabokov

憧れの教師になり神奈川県の某市の小学校に赴任してはや6年。
今日もまた新たな門出を迎える生徒たちを見送った。
今年度は4年生のクラスを担任していたのだが、正直この職業に対して多少飽きてしまった感は否めないし、結局はカリキュラムどおりにただ実直に授業を進めることが、生徒と学校と保護者の三角関係を円滑に進めるためには必要だということがわかり、若かりし頃の希望もどこへやら行ってしまっていた。
そんなボクにも楽しみがひとつだけあった。
そう、ちょうど1年前の4月、ボクの受け持つことになった4年C組に菅谷梨沙子という生徒がいた。
これははっきり言えることだけど、ボクは今まで生徒に対して、教師と生徒という関係性でしか接したことはないし、それ以外の視点で生徒を見たことは1度だってない。
だけどあの日、初めて菅谷を見たときボクは激しく動揺してしまった。
西洋人の祖父がいるという菅谷は他の生徒と比べて明らかに顔立ちが違い、この年頃の女の子を形容する言葉としては不釣合いな気がするけれども、まさしく美貌であった。
そしてある種の人びとだけが持つオーラ、つまり生まれながらにして選ばれしものだけが持つ独特の雰囲気を彼女は兼ね備えていた。
ボクは彼女に対して興味を持ってしまったのは自覚していたが、それを決して表へは出さないように心がけたし、努めて他の生徒と変わらないように接した。
しかし正直に白状すると、生徒にテストをやらせ、監督しているふりをしながら、真剣な眼差しで問題を解く菅谷の姿を盗み見ていたことも何度かあったし、菅谷にちょっかいを出して困らせた男子生徒に対して嫉妬交じりに叱ってしまったこともあった。
そんなわけでボクとしては、背徳的な快楽に溺れることのないよう努めて自分を律して、この1年間を乗り切ってきたわけだが、いざ担任として最後の日を迎えてみると、過ちを犯さなかったことに対して安堵の気持ちを抱くと同時に、言いようも無い寂寞感に襲われたりもしていた。

終業式も終わり、最後の帰りの会も終え、1年間お世話になりましたと子供ながらに礼を言い教室を出て行く生徒もいれば、いつもと変わらない調子で春休みの予定を友達同士で楽しげに話しながら出て行く生徒もいる中で、なぜか菅谷だけが教室にいつまでも残っていた。


とりあえず担任としてはこれが最後の会話になるのかなと思いながらボクは菅谷に話しかけた。
「どうしたの?誰か待ってるの?」
「先生、恋って何ですか?」
「え!?」
ボクはまったく予想外の返答に戸惑ってしまった。
が、しかし彼女の中の何かが引き出せるかも知れないと思ったボクは、彼女の問いかけにのってみることにした。
「菅谷は誰かのことを好きになったことはある?」
少しの間、彼女は考えてこう言った。
「桃子ちゃんのことは好きだけど・・・」
「それは友達として好きってことだよね」
「そうですね・・・」
いくら外見は大人びて見えても、まだ恋をするには幼すぎるようだ。
「今はわからなくてもそのうちわかるようになるさ」なんていうおざなりなセリフで収めてしまおうと思っていた矢先、彼女の口から信じられないような言葉が飛び出した。
「あの・・・ 私・・・」
「ん?」
「なんかふと気付くといつも先生のこと考えちゃっているんです。もしかしてこれが恋ってものなんじゃないですか?」
透き通るように肌が白い菅谷が頬を少し赤くしながらこう言った。
「おいおい、先生をからかっているのか? 先生はキミぐらいの年の娘がいたっておかしくない年なんだぜ(笑)」
ボクは努めて平静を装い、冗談交じりに答えた。
「嘘ですよ。先生のこと考えると算数とか勉強のこと思い出すからイヤです(笑)」
イタズラっぽく笑って答えていたが、目が全然笑っていないことにボクは気付いてしまった。
「なぁ、菅谷・・・」
ボクは自分の理性に反してありえないことを口にし始めていた。
「今度の日曜日、先生の車に乗って海へドライブに行かないか?」

コクリと頷くその小さな顔を見た瞬間、ボクはこの世のすべてを投げ捨てる決心をした・・・